【完全版】MIXTURE ROCK ミクスチャー・ロック特集

HISTORY of MIXTURE ROCK

text by 接続された男

序文

歴史とは、いかなる場合においても作者の主観によって彩られるものだ。例えば、ある集団がいっせいにひとつの事故を目撃したとしよう。目撃した事実はひとつだが、それぞれが思い描くものは少しずつずれてしまう。
そのことは、ミクスチャーロックの歴史を語ることにおいても例外ではない。私は、ミクスチャーロックが誕生する過程で起きた様々な勢力たちの衝突をこの目で目撃してきたわけだが、これからお話しするのは、その<マイヴァージョン>である
-あるガイドブックから引用参考変換文-

1990年代2000年代

日本に生を受けた接続された男が、ミクスチャーロックに取り憑かれたのは14歳。
当時は、J-popのCDセールスが100万枚を超える黄金期始まりの頃だった。
思春期になると邦楽だけでは物足りず、最初に好んで聴くようになった洋楽はニルヴァーナ「Nevermind」(1991年)
今まで聞いたロックバンドで一番速くて図太いサウンドが好きだった。ヴォーカルのカートコバーンは、イケメンでクールな印象でボクの中では”パンクバンド”で尖っている感じが気に入っていた。
当時は、ガンズアンドローゼスの「Appetite for Destruction」に触発されたハードロック/メタル信者、ヴィジュアル系バンドマンが根強かったのも覚えている。
これらのCDが、安価で手に入ることができたのが、
“タワーレコード””HMV”輸入盤を扱う大型店舗だった。

レイジアゲインストザマシーン

洋楽に聴き慣れた頃、ミクスチャー・ロック初体験
ガツンと衝撃を受けたのはベストヒットUSAで流れた
レイジアゲインストザマシーン“のミュージックビデオ「Bulls On Parade」

2ndアルバム「Evil Empire」(1996)を買いに行ったのはタワーレコード。

他にも、店頭で紹介されている洋楽チャートを片っ端から視聴して買いまくった。
しかし、売上枚数=衝撃的なアルバムではないことに気づきはじめ
ボクの興味は、トレンドに抵抗するインディーズバンドに移りはじめる。

1996年にもなると聴くアルバムはパンク一色になっていた。
セックスピストルズ再結成を引き金にパンク再ブームがはじまったのだ。
東京の主流は、メロコアのハイスタンダード。
若者はアパレルブランド”Devilock“(デビロック)が主催するライブイベントDevilock Nightに熱狂していた。
日本のインディーズバンドが何万枚もアルバムを売り、限定版は完売。
当時、毎月購入していた雑誌は「Doll」、「EAT MAGAZINE」後半に広告を載せているレコード屋の通販もした。
まさにメジャーレーベルを凌ぐセールスを記録する社会現象となっていた。

この一大ムーヴメント最大規模のライブイベントDevilock Nightのトリを務めるのが
ミクスチャーロックバンド”バックドロップボム”
当時、シングルとミニアルバムのリリースのみだったが圧倒的な人気を誇っていた。

一方、SxOxBOUTO関西ハードコアバンドといった気合の入った刺激的なバンドに遭遇する。
パンクカテゴリーは広い。境目はわからないが、ボクはハードコアとカテゴライズされるバンドの方に硬派を感じた。
ストレイトエッジの思想も興味深かった。

パンクブームを経て音楽の選択肢が広がったものの、人気者の類似品が増えてきてしまう。
それを商業ロックと一言で済ます者もいるが、スターを生み出す立派なビジネスモデルと思っている。批判ではない。

唯一いいたいのは参考になるガイドブックがなかった。
ミクスチャーロックの定義が広く、レゲエ、ファンクなど重厚とは程遠い緩めのサウンドもひっくるめて紹介されていたため
フィッシュボーン、マノネグラ、シュガーレイ、311のアルバムを200文字でアルバムレビューされてもサウンドが物足りなかったし、
無理やり感もあってガイドブックにまで商業ビジネスをヒシヒシと感じた。

参考になったのは、CDショップの手書きコメントだった。
大阪のO-LEVElはミクスチャーロック専門店からニュースクールハードコアの入り口にもなった。
レコード店においてもどこか東京より泥臭い関西カルチャーに洗脳されていたかもしれない。

コーン/リンプビズキット/スリップノット

2000年に入ると、コーンリンプビズキットスリップノットがロックシーン全体を揺るがすことになる。
重厚なサウンドに虐待のトラウマを吐き出すシャウトでずっしり重くてダウンテンポのコーン。
NYヤンキースキャップがトレードマークのヴォーカルフレッドダーストとハウスオブペインのDJリーサルが在籍するリンプビズキット
突如現れた謎の覆面集団スリップノット

この3バンドに共通するのは、
1stアルバムのプロデューサーにロスロビンソンのクレジットがあることだ。

コーンはリンプビズキットを引き連れファミリーバリューズツアーを主催。
新人ミクスチャーロックバンドが話題を集めた。

だが、コーンとリンプビズキットの人気は長続きしなかった。
このあたりで、オズフェストを主催する
ブラックサバスのヴォーカルでありメタル界の始祖オジオズボーンの偉大さに気づくこととなる。

世界ヘヴィミュージックの最高峰はオズフェストにあった。
はっきりいわせてもらうと、ミクスチャーロックはヘヴィミュージックの一部である。
メタルもハードコアもハードロックもインダストリアルも、
ブラックサバス、ジューダスプリースト、レッドツェッペリンの後に現れたサウンド。

オズフェスト常連のスレイヤー 「Diabolus in Musica 」(1998年)
パンテラ「REINVENTING THE STEEL」 (2000)のリリースは、
ミクスチャーロックとは別格のサウンドでマジで痺れた。
これは、日本で開催されるヘヴィメタルフェスBeast Feast(2001)へと繋がる。

ここで時代を遡る。

ラップとロックの融合、金字塔と語られる曲がある。

RUN DMC – Walk This Way ft. Aerosmith(1986)

Anthrax & Public Enemy – Bring The Noise(1991)

Faith No More – Epic (1989)

ONYX Feat. Biohazard – Judgment Night(1996)

今まで聴いたミクスチャーロックの格好良さの全てがこの曲達ににあった。

日本で絶大な人気を誇るバックドロップボムのサウンドが
“OST/ジャッジメントナイト”と”ドッグイートドッグ”にあることを知ってしまったのである。サックスも。

ツインヴォーカルのハイテンション爆音バンドヌンチャク

ここで、”英語ではない”日本語ミクスチャーロックバンドに個性を感じる。
そのバンドは、”ヌンチャク”。
高音と低音がハイテンションで絡むツインヴォーカルとギャグセンスの高いリリック、エクストリームサウンドにやられた。
だが、時すでに遅く、
重厚なサウンドで日本代表になれたはずの”ヌンチャク”は解散していた。ラストアルバム”一部がふぶく”は、過去リリースのなかで最も洗練されていて解散が悔やまれるアルバムだった。

ここからミクスチャーロックの衝撃を欲し聴く音楽の選択肢が一気に増えた。
探せば探すほどお宝のような名盤に出会えた。

振り返ると、
ミクスチャーロックの2度目の発火点は
コーン、リンプビズキット、スリップノットにあった。
それぞれ、バンドの主張を貫くリリースが続く。

メインストリームで突っ走ることを決めたリンプビズキットは、
ミッションインポッシブルのテーマソングを手がける程になった「Limp bizkit – Take a look around」
リンプビズキットが押し上げたメインストリームでの活躍はここまで。
ミクスチャーロックをさらに飛躍させたのがリンキンパーク。

リンキンパークの登場はマジで半端なかった。
ひとことでいうと”ミクスチャー優等生”

余波はスクリーモというジャンルも生んだ。

彼らのサウンドが体現しているように世界が求めたミクスチャーロックサウンドは
世界中のチャート1位を獲得した「METEORA」(2003)にあったことを

リンキンパークが頂点に2004年終焉を迎える

ヒットは続き、
Linkin Park / Jay-Z – Numb / Encore (2004)リリース。
ヒップホップ復権&再構築を実現していたJAY-Zとコラボアルバム「Collision Course」で
ランDMC&エアロスミスの再演を思わせた。

それと同時に最高到達点を感じ
“ミクスチャーロック有終の美”とさせてもらった。

ボクは、より刺激的な重音を求め
V.O.D「IMPRINT」の続きを知りたくてニュースクールハードコアに向かった。

時を経て2020年

ランザジュウェルズ feat ザックデラロッチャ /ブラフマン feat イルボスティーノ

▶︎Run The Jewels “Ooh LA LA” feat. Greg Nice & DJ Premier
▶︎BRAHMAN feat. ILL-BOSSTINO (THA BLUE HERB)「CLUSTER BLASTER 」MV
アメリカも日本も資本主義システムの終焉を予感させるミュージックビデオだった。
また、不満が募る…混沌の時代がくる…戦う音楽が誕生する
何かがはじまりそうな予感がした。

最後に

ボクにとって
多くの意味において、レイジアゲインストザマシーンの存在が大きい。
活動期に吐き出したメッセージの伏線を回収する時が来たと思っている。
再結成で何を語るかも楽しみである。

1960年代に生まれたサイケデリックロック、カウンターカルチャーはインターネットを生んだ。
その思想は仮想通貨(暗号資産)にも通じる。
2021年エルサルバドルという国が、自国の法定通貨を米ドルからビットコイン(BTC)に変える。
何を意味しているのか?興味が湧いてこないか?

1990年代に生まれたミクスチャーロックは何を生み出すのか?
目撃することになる

接続された男

ベスト・オブ・ミクスチャーロック RAP METAL/Nu METAL/LOUD ROCKプレイリスト

<小ネタ&関連動画>

コーン/リンプビズキットファミリーヴァリューズツアー

日本ではデビロックナイトが社会現象に

日本のエクストリームサウンド

オズフェスト

本命スリップノット

夢のコラボ名盤


V.A JUDGMENT NIGHT (ジャッジメントナイト)

デジタルハードコアの台頭

ニューヨークハードコア組参入

メタル界の重鎮も参戦

Godzillaサンプリング曲がミクスチャーかと思った

Pharoahe Monch – Simon Says(1999)

ヒップホップバンドもミクスチャーである

ビースティーボーイズはもちろんのこと。
バンド編成のThe Rootsにも色気があってかっこいい曲がある

ヒップホップ界DJ Shadow、Mr.dibbsに影響

西海岸アンダーグランドヒップホップでは、
ターンテーブリストがロックギターでスクラッチ

日本のヒップホップシーン与えた影響

DJ BAKU – KANNIBALIZM (2004)

アメリカがやるならもちろん日本もやる
DJ BAKUはロックサウンドを取り入れるターンテーブリスト
アングラの醍醐味ともいえるノイズ混じりの曲を創り出した。

日本のガチ勢は内田裕也氏

FLOWER TRAVELLIN’ BAND – SATORI(1971)

日本に気合の入ったバンドはいるのか?
それはフラワートラベリングバンド。
前代未聞のコラボにも内田裕也イズムがあった

TOKYO G.P. ZEEBRA x HIRO (2001)

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