裕也さん、俺みたいなヤツにも良くしてくれてありがとうございました。いつかこんな日が来るのは分かってましたが、本当に寂しいです。ジャンルは違えど、裕也さんの志を守り抜きます。またお会い出来る日まで。Rest in peace. https://t.co/UDsXKyU9rs
— Zeebra (@zeebrathedaddy) March 18, 2019
内田裕也さんは、2014年に本人が自身のウィキペディアを添削するテレビブロスの連載「ウィキ直し」で取材しましたが、最初にウィキを見て「嘘ばっかりだ!」「おまえが書いたのか!」と言い、途中で「1日で俺の人生の間違いを訂正できるわけねえだろ!」と帰ってしまいました。とてもいい思い出です。 pic.twitter.com/zLVrYCmri0
— おぐらりゅうじ (@oguraryuji) March 18, 2019
【資料の整理】内田裕也氏が亡くなった。これは70年の3月上旬、高校の卒業休みに東京で、友人の兄貴の下宿を根城に2週間ほど遊んだ時に集めたチラシの1つ。内田裕也&フラワーズ、モップス、ザ・ハプニングス・フォー、頭脳警察の豪華メンバーだけど3/18頃には帰阪したので残念ながら観ていないのだ。 pic.twitter.com/h9pOQuO0eC
— 村上 知彦 (@murakami_gya) March 18, 2019
ロックンローラー内田裕也さん😢😢😢🙏いつもう応援してくれました。
天国でロックンローラーで🙏 pic.twitter.com/u9g66jOtk7— Asashoryu第68代横綱朝青龍🇯🇵🇲🇳 (@Asashoryu) March 18, 2019
昔、内田裕也さんと共演して以来会うたびに、「GACKT、てめぇ!相変わらず気合入ってんなぁ!」と、いつもユニークに声をかけてくれていました。
これからも変わらず気合入れてGACKTを貫いていきます。
安らかにお眠りください。—-
Every time I met Yuya Uchida, he… https://t.co/lHKlKuRRGN
— GACKT (@GACKT) March 19, 2019
内田裕也さんがいなくなって、とても寂しいです pic.twitter.com/Lxhn9tp2Tk
— 鮎川陽子 ☮️ (@yobecom) March 18, 2019
#ひるおび オノ・ヨーコに
「ロックンローラーだって言うけど、あなた何も作ってないじゃない」
と突っ込まれた内田裕也、
「いつか見てろ!」
と映画を作り始める。
…それ
「曲を作れ」
って意味じゃ… pic.twitter.com/84ntAESTHf— 三増 紋右衛門(年末年始の余興の御依頼お待ちしております!) (@mon_emon) March 18, 2019
猪木さんに闘魂注入される内田裕也 pic.twitter.com/SnGVMTHG0g
— ジャン斉藤 (@majan_saitou) March 18, 2019
https://twitter.com/Uta_Uchida/status/1107619277715042305
https://twitter.com/Showa__Shojo/status/1107601906895978496
報道ステーションで、内田裕也に対する鮎川誠の追悼コメントが。実際に、裕也さんの計らいで1975年の夏にサンハウスは日比谷野音に初登場した。 pic.twitter.com/5BaVnroVhv
— 阿佐ヶ谷 (@kita_asagaya) March 18, 2019
「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」~1974年の郡山ワンステップフェスティバル
日本でロックで広げていくための土壌を、いかにして掘り起こしていくかについて、裏方的に働いてきた内田裕也氏の仕事は、なかなか周囲に理解されにくい面があります。https://t.co/UIuFD9DWw8 pic.twitter.com/RQLd2QZwao
— TAP the POP (@TAPthePOP) March 18, 2019
内田裕也氏はフランク・ザッパの唯一の来日公演(76年)を実現させた物凄い男なので尊敬しています。 pic.twitter.com/b69R8V2U1Q
— Lo-Fi Club (@kukkuru) March 18, 2019
内田裕也さん死去との訃報に触れる。享年 79才
写真は70年代はじめの頃
東京都体育館。
裕也さんのバンド。
裕也さん、お疲れさまでした
合掌 pic.twitter.com/MDP9vBrI5Z— 滝本淳助 (@takimotonosekai) March 18, 2019
内田裕也と樹木希林の若い頃の写真、いつまでも見ていられる。 pic.twitter.com/WqyRq7nFrD
— まことぴ (@makotopic) March 18, 2019
内田裕也といえばビートルズ来日公演でこーーーんな超特等席で座って見てた人、です。隣は尾藤イサオ。 #日本武道館 https://t.co/iEB0f0dfdl pic.twitter.com/cpsv09697y
— 青木る(えか) (@daikix) March 18, 2019
#内田裕也 さんを偲んで #PANTA
「古い芸能の世界に育ちながら、既存の芸能界に牙を剥いてきた人。」#頭脳警察https://t.co/Nb9PUFtHzi pic.twitter.com/ai4FxPD7f8— PANTA頭脳警察オフィシャル (@pantazkofficial) March 18, 2019
『コミック雑誌なんかいらない』
映画そのものが炎上芸。85年当時の事件スキャンダルに食い込み渦中の人物や事象が登場したセンセーショナル。
RIP.内田裕也演じるワイドショーレポーターに大衆の愚かさが重なる。マスコミの海原で生きる役柄に御本人の人生も鏡写しに。得難い。#1日1本オススメ映画 pic.twitter.com/apJTmTzLeQ— キタコ (@kitaco127) March 18, 2019
内田裕也さんというと自分はまずこれを思い出します
R.I.P.
Rock'n'Roll !! pic.twitter.com/UOA5MZwjuf— jun (@jun_lmhs) March 18, 2019
https://twitter.com/zero_spectre/status/1107449482034057216
「DJ BAD BOY!」の呼び込みとともに裕也さんが現れDJブースの前に立った。前というのは文字通り前、ブースを背にして。「これは」と思った矢先に近田さんが「ジョニー・B・グッド」を流し始め、そして裕也さんは手に持ったステッキをマイクがわりに口パクを始めた。それがDJ BAD BOYのすべてだった
— Takafumi Ando (@adtkfm) March 18, 2019
音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争
「大滝君達が日本語でやるのなら成功してほしいと思う」
内田裕也氏が日本語のロックについて、1970年の夏に行われた座談会で語った言葉です。https://t.co/GLSgUOju1k pic.twitter.com/Tbses7goMT
— TAP the POP (@TAPthePOP) March 17, 2019